イギリス旅日記

Posted by admin - 9月 5th, 2007

07:00に起床、身支度を整えて待っていると、約束どおり08:30にDr Wakelinが調査を終えた印刷本を届けてくれた。しっかり荷造りして09:00に鍵を守衛所に返してChrist’s Collegeを去る。入り口の前がタクシー乗り場なのに、5分待ってもまったく来ない。そこで徒歩で重いスーツケースを引っ張って駅まで20分の距離を行く。途中でMackenzie教授とばったり。

09:20過ぎにCambridge駅に着いて、発着情報を見ると09:45にKing’s Cross行きの急行がある。それまでの時間を利用して売店で温かいコーニシュ・パイを食べる。素朴な味で美味しい。電車に乗り込むと順調に走り10:35にはロンドンに到着、あらかじめネットで調べておいた荷物預かり所に行って、スーツケースを預ける。ここにもX線透視装置があった。

10:55に大英図書館に着いたので、受付でDr Kristian Jensenを呼び出そうとするも、彼のオフィスの電話番号が受付のコンピュータに出てこないという。仕方がないので同僚のMr John Goldfinchはどうかと尋ねると、すぐ電話してくれて、二人が同時に降りてきた。職員用食堂でコーヒーを飲みながら、かなり突っ込んだ話しをしているところに、出版部長のMr David Wayがやってきた。三田生協で入手したカラーファイルをあげて、どうしてここではこの種のものを販売しないのかとなじっておいた。

12:00過ぎに別れて、2階のPCコーナーでワイヤレスを立ち上げてメールをやり始めたとたんに、立教の吉野名誉教授、昨日一緒だった国際センターの加藤事務長にばったり会った。12:20に書店に行って数点選び、大学に送ってもらうことにした。先日更新した友の会のカードが役立って、ちょうど航空運賃が無料となった

12:35にChristopher Edwards氏とそこで落ち合うと、さきほど会ったMr Way, Mrs Mette de Hamel, 徳永聡子氏と、みな偶然に会う。BLとはそういうところだ。向かいのイタリア料理店で、Edwards氏と昼食。話に夢中になりすぎた彼に次の約束の時間が迫ってきて、飛び出して行った。

King’s Cross駅に戻って、預けた荷物を受け取って、一日分の6.50ポンドを払う。既に地下鉄のストが終わったと聞いて、Piccadilly LineでHeathrowへ一時間かけていく。Terminal 1,2,3という駅で降りて、かなり歩いてANAのカウンターに行くと、大男が沢山いるではないか。よく見ると、Cambridge University Rugby Union Football Clubの選手団、日本では関東学院、早稲田と試合する予定だ。近寄って、選手に声をかけ、早稲田との試合には見に行くぞと伝えておいた。

荷物検査場では身体検査、次の旅券検査場では靴を脱がされた。BLの入り口でも荷物検査があったから、警戒度は一番高いのではないか。地下鉄内に放置されていたタブロイド新聞には、アルカイダが9月11日に再びテロを試みるという見出しが躍っていた。ロビーではほとんど買い物をせず、16:30にはラウンジヘ。ここのワイヤレスは使えないのはどうしてなのか、いたし方ないので備え付けのPCでメールをやろうと試みたが、反応が遅くてたまらない。

ここまで書いてトイレから戻ると、石川透教授とラウンジ内でばったり、ダブリンからの帰途だとか、一緒におられた国学院の針本正行教授としばし国文学談義を楽しんだ。社会学の藤田教授も同じ便らしい。

19:10に機内に入る。190cmの大きなラグビー選手たちはかわいそうにエコノミー席だ。さほど大きくない監督はビジネスクラスにいた。私の隣は得体の知れぬ厚化粧の中年日本女性、触らぬ神にたたりなし、話しかけないことにした。定刻より遅れて20:00に離陸、録画のNHKニュースは台風接近を伝えている。機長からも、成田に着陸できない場合は、他の空港に行くかもしれぬとのアナウンス。

型どおりシャンペンと白ワインで和食を美味しくいただいた後、映画も見ず、オペラのアリアを聴きながらぐっすり寝た。着陸3時間前に機内が明るくなって起きると軽い昼食、台風といいながら雨が降っていない成田に6日(木)15:20に到着、30分後には新宿駅西口行きのリムジン・バスに乗っていた。車内は外国人客でほぼ満席、一番後ろの席に座って日記を書き続けた。

台風が幸いしたか、記録的な早さで17:00に新宿駅着、17:20には我が家に着いた。明日は箱根でのゼミ合宿、果たして行けるかどうか。

イギリス旅日記

Posted by admin - 9月 4th, 2007

こちらで買ったワイシャツには胸ポケットがついていない。確かに胸のラインはすっきりしているが、パスポートなどを入れる場所がなくて不便だ。

9:00にKing’s CollegeにAlan Macfarlane教授を尋ねて、やっと面会、教授は早速鉄観音のお茶を入れてくれる。病気や事故じゃなくてよかった、刑務所に入っているのでもなくてよかったと、ブラックなユーモアをぶつけると、街から離れて田舎に住んでいる教授は、昨日バスが来なくて、約束に間に合わなかったと釈明していた。ここでも公共輸送機関の問題だ。

Macfarlane教授はその後30分間、彼独特の福澤諭吉観を述べたが、150年記念のシンポジウムにはうってつけだと思った。部屋には変なものがいろいろ置いてある。聞くと人類学専攻の教授は、研究対象の相手が日夜自分のそばに置いていたものを収集しており、慶應の速水融教授からは財布をもらったといって、福澤さん一枚が入った黒い革の財布を見せてくれた。人類学で思い出したのは、昔St John’s College, Oxfordのハイテーブルで隣に座った老人が、Levi Straussの研究仲間で、よくアフリカに調査に行ったという話だ。誰だったが名前を思い出せないというと、教授はきっと人類学の第1人者だったPritchard教授のことだろう、
そこにあるのは彼の研究室にあったクッションだよ、と指差した。数日前にインタヴューしたDNAの発見者からは、発見に至る過程で使っていた小さな黒板をもらった由、面白いものを集めるものだと感心。家で古書商いをしているという教授夫人は、King’sのProvostで中世写本目録の編纂者M.R.Jamesの子孫に当たるという。圧倒される話しばかりだ。

会議のためロンドンに出かける教授はカウボーイハットをかぶって部屋を出る。一緒に広い芝生を横切って街に出た。King’s の芝生には数ヶ国語で「芝生立ち入るべからず」の警告があるから、教授と二人なら横切れるのが嬉しい。10:00前に再会を約して、G.David古書店に行くと、Cambridge University LibraryのNo.2の地位を辞めたDavid Hall氏がやってきた。1975年秋以来の古書仲間だ。そばの教会の一画を喫茶店にしてあるところで、コーヒーを飲みながら話す。足を引きずって歩いていたので尋ねてみると、やはり重い体重を支えきれずに膝にきたという。そういえば、恩師Ian Doyle博士の腰の手術、Peter Mathias教授
の膝、とイギリス人には脚のトラブルが多い。上半身が太っても下半身が細いのが原因だろう。

Hall氏もこれからロンドン行き、ところが今朝から地下鉄がストだとか。二つの会社に民営化された地下鉄のうち、ひとつの経営が危なくなり、そこに勤める連中が賃金を保証せよといって3日間ストを打ったとは、信じられない話だが、イギリスでは何が起こっても不思議はない。

Hall氏と別れてChrist’sの部屋に戻ってメールをチェック、King’s の図書館長から昼食に来いとあったので、12:30に行くと、人懐っこい表情のPeter Jones氏がやってきた。大きな食堂が、各種の会議や夏期講座の学生で混んでいる。聞くと、早稲田からも学生が来ているという。彼の最近の研究などの話を聞いて、14:00にコレッジを辞し、Fitzwilliam Museumへ。変わった展示はなし。

その後再び自室に戻り、16:00に出発してDowning Collegeへ。快晴で歩くのも気持ちがよい。Howard Buildingへ行くと、田中前理事、Bill Mackenzie教授、加藤国際センター所長、佐久間裕子さんが既に来ていた。16:30から慶應のダウニング夏季講座の修了式、マスターはじめコレッジ関係者は正式のガウン姿、60名の塾生も正装だ。高宮研究会の藤田さんはじめ英文科の学生が数名いた。その後庭園で夏季講座10周年の記念植樹、日本のソメイヨシノを一本植えたが、既にかなり背が高い桜だった。

そこへ昨日ディナーを一緒にしたPeter Mathias教授夫妻と、以前BursarだったDr Blackkaderがやってきた。その後ダイニング・ホール前の芝生でワイン・レセプション、ハイテーブル組は別のテーブルでシャンペンが振舞われる。要するに学生とは飲み物が違うわけで、それを知った教授が「これはきっとコレッジの経費でやっているんだろう」と鋭い一言。後で確認すると、ディナーの中身も違っていた。

学生と話してみると、天気がひどかった割には、この講座への評価は高く、相当勉強させられたらしい。60名の中からカップルが誕生したかと聞くと、できそうなのが数組いて、今日は最後の機会だからと、彼らを一緒に座らせてディナーをするとの話しだった。19;00に始まったディナーは21:00過ぎまでかかり、その後学生はみなコレッジのバーへ。私はマスターと再会を約して、部屋に戻り、22:30には就寝。これで出るべき行事はすべて終わった。ケンブリッジに来ていながら、まったく図書館で仕事ができなかったのが残念至極だ。

イギリス旅日記

Posted by admin - 9月 3rd, 2007

ここのゲストルームは床や天井がみしみし音を立てないから、とても居心地がよい。変なことをいうやつだと思われるだろうが、イギリスの建物はどういうわけか、床の作りが悪い。夏で上下に人が住んでいないから、快適なのかもしれぬ。天井はかなり高い。

7:00から散歩、晴天で気持ちがよいが、寒いことといったら、気温は10度ぐらいか。Christ’s Collegeは食堂が工事中、ことにこの季節は学生も院生を除いては住んでいないので、朝食が出ない。そこで市内の店でチキン・サンドイッチを温めてもらい、部屋に持ち帰った。2.10ポンドだった。550円ほどだが、美味也。

9:00にそばにあるBarclays銀行が開いたので、真っ先に出かけて小切手帳を送ってくれていないことに抗議、直ちに送らせる手続きをした。昨今の銀行はやる気がないからどうしようもない、と聞いていたが、このトラブルだって去年11月に来た時文句を言って解決したはずなのに、一向に送られてこなかった。今回は念のため担当者の名刺をもらっておいた。いつも思うことだが、ここでは生年月日、母親の結婚前の姓、勤務先を言わせて本人確認をする。免許証や保険証なら盗まれたものかもしれないからか。

その後Magdalene Collegeの前にあったローマのコインを売っている店に行くと、そこは花屋に変わっていた。いとやんぬるかな。これで市内でローマン・ブローチを扱う店はすべてなくなった。隣の古書店は閉まっているし、ここに来た甲斐がないではないか。みやげ物屋で義理の妹用に指貫を数個入手してから、St John’s CollegeのDr Richard Beadleの部屋へ。Great Gateの一番上の部屋なので、螺旋階段を昇るのが大変だ。

ここでコーヒーを飲みながらゆっくり情報交換していると、時の経つのを忘れる。EdinburghのAngus McIntosh教授やOxfordのNorman Davis教授がともに戦時中英国の情報将校(スパイ)だったという事実を初めて知った。亡くなって初めて訃報の中で語られる事実で、戦時中英語学を専攻していた学生がかなりスパイに向いていたらしい。

いろいろ資料を頂戴してから、次はHeffers転じて今はBlackwell’sになった書店に行き、Alan Macfarlane教授の新作JapanThrough the Looking Glassを購入、旅行記のセクションで見つけた。来年のゼミの教科書にはうってつけだ。中には慶應や福澤への言及が多い。そのMacfarlane教授のいるKing’s Collegeへ指定された12:45に出かけた。ところが部屋をノックしても返事なし、隣の部屋にいるDeanに聞いても午前中は来ていなかったよとの説明に焦る。守衛所に掛け合ってもらちがあかない。

簡単なスナックをで昼食を済ませ、部屋に戻って教授にメールを打った。病気や事故ではなく、ただ約束をお忘れになっただけならいいのですが、と皮肉も入れておいた。Darwin Collegeの学生だった大昔、マスターのSir Moses Finley(超大物の歴史学者)との約束を忘れて、大恥をかいたことを思い出した。すると突然睡魔が襲ってきたので1時間ほど昼寝をすることにした。代々木にいれば毎日昼寝するのになあ。

15:00に起きてメールを開けると、Macfarlane教授から後でコレッジに来るようにとのメッセージがあったが、これから出かけるので無理ですと返事を書き、240 Hills Roadへ30分徒歩で行く。恩師Derek Brewer教授宅に着いたのが13:50、既にストーブを点けた居間で先生は座ったまま迎えてくれた。筋肉が言うことを利かないParkinson 病にかかっているとは思えないほど、口は達者で90分ほどずっと昔の話をしてくれた。こちらは内心とても悲しく、相槌を打つのみだった。手が震えて字がかけないが、何とかメールができるので、外界と連絡がとれるとの話。

18:00前に部屋に戻ると、万歩計は既に20000歩を超えていた。メールを開けると再びMacfarlane教授から。明日会えるかどうか連絡が欲しいとのこと、そこでまた返事を返してから、今度はDowning Collegeへ。皇太子殿下の指導教授だったPeter Mathias教授が、守衛所の前で仁王立ちで迎えてくださった。Ann夫人がホンダのワゴンでお待ちかね、コレッジでディナーかと思ったら、連日コレッジではいやでしょう、これからMadingleyへ行きましょうとのこと。Three Horse Shoesですかと問うと、そうだとの返事。願ってもないレストランだ。

そういえば昔伝統的なパブだった店が、みな内装を替えて瀟洒なレストランになっている。不思議なことにウェイトレスはみな東欧系の女性、聞けば昨今のケンブリッジのカソリックの教会にはポーランドやロシア人が多く集まるという。Three Horse Shoesは、FowlmereのCheckersと並んで美味しいレストラン、そこでMathias教授夫妻とのディナーとはラッキーだった。特にAnn夫人がずばずば物をいうので面白い。皇太子殿下の英語はいいが、秋篠宮はまったくしゃべれない、などと続く。Norfolkの海辺に家があるというので、19世紀初めにいたAnna Gurneyという稀有な女性について話し始めると、Norfolkでは今もGurney家が地域経済を担っているよとのことだった。メニューにケンブリッジ近郊のChiversという会社の製品に触れたくだりがあったので、製本会社のCedric Chiversなら知っているんですけどというと、Ann 夫人はToshi は何でも知っているわね、Cedric ChiversはBathにある製本会社でしょ、私はBath出身だからよく知っているけど、と一本取られてしまった。

楽しくひと時を過ごした後、21:30過ぎにコレッジに送ってもらい、明日の再会を約して部屋に戻る。Macfarlane教授に電話すると、理由は言わなかったが盛んに申し訳ないを連発していたから、きっと約束を忘れていたのだろう。明日の朝一番でお会いすることになった。22:30に就寝。今日も多忙な一日だったが、疲れは感じない。

イギリス旅日記

Posted by admin - 9月 2nd, 2007

9月になるとイギリスの昼間が急に短くなる感じがする。朝ゆっくりメールをやった後、パッキングしてから10:00前に、おそらくそばのホテルで古書市をやっているだろうと考えてロビーに下りるが、エレベーターのそばの張り紙に「内装工事のためエレベーターは10:00以降は2階止まり」と書いてある。それならいまチェックアウトしたほうがいいと思って、部屋を出るとき、右下の引き出しに洗濯したてのワイシャツ3枚を置き忘れてしまった。ずっと後になって気づいたので、生協から連絡してもらうこととした。大失敗。

そのまま重いスーツケースを引っ張ってKing’s Cross駅に。往復切符を買おうとすると、日曜だから線路工事のため直行電車はない、Stevenageで乗換えよと言われた。それでも25ポンドを払って、St Neots行きに乗り込む。乗客の多くがケンブリッジ行きというのが、漏れ聞こえる会話から分かる。Finsbury Park, Knebworth(Bulwer-Lytton卿が建てた中世趣味の舘がある)、そしてStevenageまで30分ぐらいかかった。そこで降りると何とバスが2台待っていた。事故のときによく聞く振り替え輸送というやつだ。私が乗った2台目のバスは、A1(M)>>A505>>A1という昔よく使ったルートで、畑の中を走る。快晴で気持ちのよい朝だ。

ところが、バスがケンブリッジ市内に入ると、運転手が駅方向に曲がらず、市内をぐるりと回るではないか。途中ひょっとしたらElyまで走るのではないかと思ったほどだ。要するに迷子になったのである。振り替え輸送のバス運転手がすべきことではないはず、たまりかねて後部座席に座った女性が前に来て、運転手に指示し始めた。外国人観光客が多かったから気づかなかったかもしれないが、もっと早くに私が行って教えてやればよかったと、反省

結局駅に着いたのが12:15で、電車の2倍の時間がかかった。駅前からはタクシーでChrist’s Collegeの守衛所へ。これから3日間Dr Daniel Wakelinのゲストだ。ところが、イギリスでは何でも起こる。Wakelin博士の名前を出しても、私の部屋の予約などないよと言われた。仕方がないから、昼食に出て14:00前に戻ると、違う守衛が、いつもとは違うゲストルームが予約されていたよ、案内しよう、といってコレッジの端にあるあまり大学の建物には見えないビルに連れて行かれた。

ここのゲストルームは、派手すぎず、簡素すぎず、なかなかよい。TVがないほかはホテルと変わらない。変な話だが、ここはシャワーがホース状になっているのがありがたい。イギリスではシャワーが固定式の場所が多く、かなり難儀するからだ。

壁には20世紀初めのマスターの油絵がかけられている。このコレッジは、St John’s Collegeと同じくLady Margaret Beaufort (Henry VIIの母、Caxtonのパトロン)が創設したもの、好古家John Lelandは1509年入学の一回生、その後詩人John Milton、「種の起源」のCharles Darwinらが卒業した。

旅装を解いてから、博士の部屋に電話しても通じない。そのはずで、コレッジの中で電話する際には頭の3を省かなければならなかったのだ。またインターネットOKの言にもかかわらず、通じない。仕方がないので、もう一度守衛所に戻ると、いまWakelin博士が来たよとのこと。直接彼の部屋に行くと、若々しい青年がこざっぱりしたワイシャツ姿で出てきた。部屋の内側が白壁に黒く塗った木材の組み合わせだったので、エリザベス朝の建物かと尋ねると、1509年創立の時に建てられたチューダー時代のものとか。驚かされた。しかもダーウィンの部屋は向かい側にあった。

今回ここに来たのは、わが蔵書にある大陸で印刷された古典文学3点をまとめたインキュナビュラが、15世紀末にケンブリッジで製本されたままの状態であり、オウィディウスの『転身物語』の余白には多くの書き込みがあるので、ここにいた人文主義者が読んだ可能性がある、そこでこの種の研究をしているWakelin博士に調べてもらおうと考えたのである。誰か著名な学者の筆跡なら万歳なのだ。これを博士に渡すと、いいコンディションだねと感心、コレッジ内に置くとあぶないので、英文科の金庫にしまうと言っていた。

博士と別れて、置き忘れた替わりのワイシャツを買いに街にでる。昔と違って。イギリスでは日曜日は安息日ではなく買い物日になっている。幸いChrist’s Collegeを出ると、目の前に賑やかな商店街が広がっている。結局Austin Reedへ行くと、2枚買えば3枚目は無料というサービスがあったので、ちょいと派手目なカラーシャツを購入した。Saintsburyで水を買ってコレッジに戻り、電話回線を使ってみると、どうにかメールが可能になった。

19:30にコレッジの裏手にあたる場所にパブを改造したレストランができており、Wakelin博士とその師匠に当たるRichard Beadle 博士夫妻と会ってディナー。なんだか国籍不明のメニューが多い。こちらは小海老のカクテルとグリル・チキンを食べ、デザートは避けておいた。昔馴染みのBeadle夫妻のこと、話は子供たちの今はどうしているから始まって、懐かしい。22:00にレストランを出ると、かなりの雨だった。

イギリス旅日記

Posted by admin - 9月 1st, 2007

今朝はLincoln College, Oxfordで始まった、慶應の学生のための演劇を中心とする夏季講座に行くつもりだったが、主催者のDr Neil McLynnへのメールの返事がないままうち過ぎた。こちらは10:00-12:00なら行けると連絡したのだが、実際には10:00には到着できなかったから致し方ない。

08:20ごろホテルを出てEuston駅に徒歩で向かうが、Oxford行きの電車はPaddington発だから、EustonからCircle Lineで行けると計算違いをしていた。原因のひとつは、ホテルでくれた地下鉄の地図が小さすぎてよく見えなかったのである。Zone 1,2に通用するOne day travel cardを5.10ポンドで買って、Eustonの地下鉄駅に入ったものの、Circle Lineの表示がない。しかもアナウンスで今日はCircle Lineは運休だという。英語のできない日本人ならこれでアウトだろう。その上、他の線も軒並み工事のため途中でバス輸送などと、とんでもないことを告げている。黒人女性の駅員に尋ねると、King’s CrossからHammersmith & City線に乗れとの指示。これに従ってPaddingtonに到着したのが9:10、Oxford行き日帰り往復券は17.50ポンドだった。10番線ホームに乗り込むも中は真っ暗。わが国では考えられないことが次々と起こり、ようやく9:20に電気がともり、2分後に出発。途中Readingで止まったほかはノンストップで1時間弱でOxfordに着いた

車中は空いており、昨日Dr Meg Fordがくれた論文の抜き刷りを読む。イギリスではいつからインキュナビュラを特別視したのかを証拠だてて論じた好論で、さすが才媛の論考だと感じ入った。朝のロンドンは晴天だったのに、Oxfordで降りると小雨、既に冬のような厚い雲ばかり。これで滅入ってはいけない、市街を目指して歩いて行くと、ここも至るところで道路も建物も工事中だ。要するに、イギリスは景気がよくて、建築と土木業が張り切っているわけだ。途中で、大きなアンティーク・マーケットがあったはずだと行ってみると、影も姿もなかった。

しかたがないので、ごった返す中心街を抜けて、Blackwell’s 書店の古書部を覗くと、土曜日だから若手のMichaelだけが客を待っていた。16-17世紀の貴重本を何点か見せてもらって、そのうちの一冊の標題紙の書き込みがJohn Pearsonとは読めないではないかと言ったところ、彼も同意、それからこちらへの対応がより丁寧になった。結局何も買わずに、会話を楽しんでから、新刊書の大型書店Bordersに行って、映画The QueenのDVDを入手した。

約束どおり12:30にEric Stanley教授の家を訪れると、80歳過ぎの上病み上がりでゆっくりした動作の教授が迎えてくれた。「最近古本屋に行ったか」が挨拶がわりの一言、その後はさよならを言う15:00まで、古書と共通の友人の話ばかりだった。近くのレストランに昼食に行く直前、「これは普通の客には見せないよ」といいながら、インドの詩人タゴールが手紙をつけて贈った自作詩集を見せてくれた。単なる古本屋で安く見つけたという。George Hickes とHumfrey Wanleyの編纂で著名な『北方文学宝庫』3巻本が、最近のBennett & Kerrの目録に凄い値段で出ていたが、教授は僅か7ポンドで入手したという。「自分は研究に必要な本だけ買う、コレクターではない」と口を尖らせていうが、その割に同じ貴重書を2度買ったことがあるという。昨日会ったMeg Ford, Paul Querrieの名前が教授の口から出たときは、その偶然に驚かされた。

バーミンガム時代の話になると、「同時期にいたDerek Brewer, Derek Pearsallも同意するだろうが、Geoffrey Shepherdほど凄い学者はいなかった、ほとんど何も出版しなかったけどね」との評価だった。こちらからTerry Jonesを持ち出すと、あまり好みではないようで、「ある学会でゲストが彼だと聞いたから行かなかった」とのコメントが戻ってきた。

私が編集主幹をしているPoeticaへの協力を謝して、別れたのが15:00、Randolphに行って川端久美子さんと会い、Ashmoleanで雑談、頑張っているようだ。彼女に送られてOxford駅から17:05発の電車でロンドンへ戻り、またまた中華そばを食べて帰宿。冷水シャワーを浴びた後、TVでPromsのShostakovitchの交響曲5番を聞きながら、日記を書いた。今日は早く寝られそうだ。