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ようやく634の天空へ(実際は350)

ようやくTokyo Sky Treeの展望台に行ってきました。

午後からなんとなくドライブ。特に用事のなかったので、予約もなしに出かけてみました。
駐車場は入るのに信号につかまってしばらくかかったけど、実際の駐車場内は比較的すいていました。

とりあえず当日券があるかどうか確認。5時半集合の予約券を配布していただけたので、遅めの昼食を3時頃からスタート。

ゆっくりと食べ終わっている頃に、集合場所近くに行ってみると、何かイベントをやっていました。後から調べるとモデルのミランダ・カーが来ていたよう。写真取れば良かった。

エレベータであっという間に展望台に。運良くサンセットの時間に遭遇。その後次第に夜の東京に突入していく過程をしばらく堪能できました。

Fuji

 

TST

 

 

 

 

 

 

 

初めての交詢社

尾上桂二郎先輩に、初めての交詢社に連れて行ってもらった。

東京奈良県人会総会で、関東学院大学の非常勤講師として少しお時間をいただき、お話する時間をいただいた。東京の大学2校(関東学院大学、尚美学園大学)にご協力いただき、奈良でのイベントをきっかけに、奈良を大学生の学習の場にしてしまうプロジェクトを実施したことをご報告させていただいたのだった。

その後、尾上氏に交詢社に連れて行ってもらった。昼間から銀座で飲める希少な場所だよとのお勧めもあり、遠慮なくお伴させていただいた。

交詢社は福澤諭吉先生が関わった日本で最初の社交倶楽部である。以前から一度は行ってみたい場所であったが、なかなか社員の方との交流もなく、機会がなかった。慶應義塾の出身者が多いが、外部にも解放しているとのこと。

私が興味を持っていたのは、ビリヤードの台についてだ。噂では「大台」が交詢社にもあるということを聞いていた。その「大台」とは英国式ビリーヤード、スヌーカーの台ではないかと想像していたからだ。

鹿鳴館には3台のスヌーカーの台があったという話を、以前日本スヌーカー協会の関係者から聞いた事がある。早速、三田の慶應義塾図書館で調査してみると,確かにそれらしき大きさのビリヤード場が鹿鳴館の設計図面の中で確認できた。

それ以来、私のスヌーカーの台の探索が始まった。1988年頃からだったと思う。

ある時、交詢社にも大きなビリヤードの台があるという話を慶應関係者から聞いたことがあった。それ以来、一度交詢社に入ってみたいという気持ちがむくむくと育ち始める。いろいろな方に交詢社へのアプローチを打診したが、ようやくその出会いに遭遇したという次第。

残念ながら交詢社は改装されている。今回、バーでお酒をご馳走になったのだが、そこにバーテンダーの方に、この話をしてみると、やはり「大台」はそこにあったとのこと。但し、それが、スヌーカーなのかどうかはまだわからなかった。さらにその「大台」は会員の個人の方が引き取って、今は銀座のどこかのビルに保存されているはずだという話も伺うことができた。

まだまだこの話は調査のしがいがありそう。

どこやらの三井倶楽部にあるという話もあるし、いろいろとこの目で確かめるルートができるように、今後も精進して、人的ネットワークを拡げて行く必要があると感じた。

もっともっと仕事をしっかりとして、日本の経済人として、自分がそのネットワークの中に交われるように、レベルアップしていかなければならないと感じた午後だった。

横には東大の学生もいたし、ヨット部の宴会もやっていた。簡単にそいうチャンスに遭遇できる人も入れば、私のように時間がかかる人もいるだろう。いずれにしても初めての交詢社の時間を堪能できた事、先輩に感謝しなければならない。

交詢社

 

 

 

 

 

 

交詢社での一杯

田子ノ浦

なぜか東名に乗ってしまった。

どこへ行こうかと考えているうちに、海老名サービスエリアに。

偶然みつけたちらしで、富士山しらす街道へ行ってみる事にした。

田子ノ浦港に行ってみると山部赤人の碑に出くわした。

百人一首ですね。

「田子の浦ゆうち出でて見ればま白にぞ

富士の高嶺に雪は降りける」

奈良時代の歌人ですが、こんなところまで来ていたのですね。

残念ながら曇りで富士は見えませんでした・・・

じじばばの原宿

巣鴨の地蔵通り商店街初体験です。

車椅子の父と普段会買い物を楽しんでいない母を連れていきました。
流石じじばばの原宿でした。母の買い物に意欲を見せる生き生きとした姿を久しぶりに堪能しました。

地蔵巣鴨巣鴨