Monthly Archives: 8月 2007

2007ヨーロッパ旅行05パリ&デュッセルドルフ

パリ最終日は凱旋門近くのカフェフーケでの典型的なパリの朝食。エスプレッソとクロワッサン。15ユーロ。ここは、イングリッド・バーグマンの映画「凱旋門」の舞台になったカフェ。パリに来るたびに必ず一度は寄っている。地下鉄でプランタンとギャラリーラファイアットデパートへ。最近有名になったマカロンの有名店には日本人の列が出来ていた。

歩いて、オペラ座からサントノーレ通りをウィンドウショッピング。最後に何度かグラスやデキャンタを購入したバカラの本店に入り込み、美しいクリスタルを眺めて来た。今回は時間がなくショッピングはできなかったが。
実は昼にK君とW君と合流する約束があったのだ。レンタカーを借りたポルテマイヨーのラウンドアバウトの近くの南仏レストランで最後のパリの食事会。少し濃いめの味付けのシーフード料理。なかなかボリュームもあり、おいしかった。今回は私が全てを支払った。ここは昼間からW君が接待でも使う所らしい。
夕方シャルルドゴール空港から次の目的地ドイツのデュッセルドルフへ向かった。

出迎えてくれたT君は、翌日のドライブの為大型のレンタカーを用意してくれていた。ドイツに駐在しているが、担当はヨーロッパ全域らしい。ビジネスはほとんど英語で事足りるようだ。転勤前はかなりドイツ語を勉強していたようだが。T君は奥さんと二人での生活をデュッセルドル郊外のMeerbuschという街で過ごしている。W君も遅れて到着。
日本にいたら住居費、車も支給されないが、ドイツに来たらいきなり生活がグレードアップしている。海外赴任もそう悪くはなさそうだ。何しろ給与がユーロで支払われるのは、今はお得。社用車もベンツだ。
T家は日本でもドイツでも私たちにとっては飲み屋のような存在。奥さんが飲める人なので、出てくるおつまみがタイミング、量とも抜群だからだ。ドイツ到着一日目の食事会は案の定T家での和食宴会になった。ドイツビールもこのあたりではミュンヘンとは異なり、デュンケル系の小さなグラスで飲むスタイル。結構和食にも合う。なにしろ煮物から始まり、おにぎりは出てくるはで、我が家族もまたここで一息。T家の近くに取ってくれたホテルはヨーロッパ特有の田舎町のパブがやっているようなこじんまりとしたホテル、Hotel Zur Krone。散歩をする為にホテルに地図を頼んだところ、親切に地図を貸してくれた。残念ながらインターネットは繋がらなかったが、パソコンをT家に持ち込んで、メール等のチェックをすることができたので何の不便もない。私は日本との仕事のメール、娘はしきりにSNSへの書き込みをやっているのが印象的だった。

2007ヨーロッパ旅行04パリ市内2

午後は、オルセー美術館へ。マネやモネを観た後、サンジェルマン通りでウィンドウショッピング。さらに地下鉄に乗り、モンマルトルの丘を目指した。丘の上 でストリートミュージシャンの歌をしばし堪能しながら、パリの眺望をぼんやりと眺めていた時間がなんとなく優雅な時間でうれしかった。

 

凱旋門や、モンマルトル、サクレクール寺院かの高台からのパリの眺めを味わい、パリ中を歩き回りました。

最後は地下鉄でオペラ座周辺へ。ライトアップされたオペラ座だったが、入り口付近が工事中。あまり素敵な写真は撮れなかった。夕食は昼のフレンチがヘビーで、軽 めにしたいというのが家族の意見。オペラ座の周囲は日本食が多いのを知っていたので、和食にチャレンジしてみた。にぎり寿司、ちらし寿司、うどんを注文。 地下鉄でホテルに戻った時はもうくたくただった。

2007ヨーロッパ旅行04パリ市内

翌日はK君とW君は別行動。丸一日家族でパリ市内観光をした。娘にどこか行きたい所あるかと聞いたら、なぜかロンシャン競馬場。競馬は開催されていないが、ホテルからは割と近い。しかし交通の便が悪く、地下鉄では行けそうにない。仕方ないのでタクシーに乗り込み、ブローニュの森を回りながら、人も馬もいない競馬場まで行って記念写真を撮って来た。でもなんで競馬場なんだろう?
地下鉄の駅に戻り、10枚綴りのカルネを購入。フランスは地下鉄が発達しているので、これが便利だ。おもしろいのがこのチケット、一旦改札を出てからも戻ってくる。どうやら一定時間以内に乗り換えると、同じチケットを使う事ができるらしい。慣れるまで、それに気がつかずに乗り換えごとに新しいチケットを使ってしまっていたのが少し残念。まず最初に行ったのが、ルーブル美術館。美術館入り口のカフェで朝食を食べてから、サマトラケのニケから始まり、ダビンチのモナリザ等を堪能。この時期オランダ絵画のコーナーが閉鎖されていたのが残念だった。

さらに地下鉄に乗って、シャンゼリゼ通りへ。東京はまだ真夏だったが、パリはもう涼しい位。15度から20度。妻がどうしても秋物のコートが欲しいということで、お買い物タイム。結局一着買わされてしまった。お昼は東京からインターネットで予約してあった3つ星レストランのタイユバンへ。タクシーで乗り付けないと格好つかないので、近くからだったがタクシーを拾った。ここではなぜかタクシーの運転手にチップをせがまれた。

一人70ユーロのランチコース。シャンパンを一杯と赤ワインを堪能。優雅なランチタイムだった。店内は割と狭く、着座してからテーブルに挟まれて身動きとれないような感じに配置。各テーブルには2人の担当が付くのでサービスは満点。というかスタッフの方がお客より多いのでは?などと心配する程。パリのレストランは夏の間休暇になりが、このレストランは私たちが訪問した前々日からオープンしていた。スタッフも充分休養が撮れた後だったので張り切っていたのだろう。活気がある。グラスが空くとすぐにやってくるし、途中でトイレに立つ時等は、テーブルごと動かすので大変な騒ぎだ。料理はやはり質も高く満足満足。

2007ヨーロッパ旅行03ベルサイユ

A11からパリ市内に入る前に、N118を経由して一路ベルサイユ宮殿へ。入り口部分が工事中だったが、ゆったりと時間を取れたので、しばし宮殿内と庭を 散策。私は2度目だがK君も我が家族も初めてのパリ。娘と妻は仕切りに写真を撮りまくっていた。

あまりにも広い庭なので、遊園地にあるようなトロッコ型小型バスで庭の中央まで楽して移動してしまった。プティトリアノン等を通過して、庭の中央のカフェでビールを飲んで一休み。帰りは手入れされた庭の花を堪能しながら、ゆっくりと散策した。ベルサイユを出るときには既に日が暮れようとしていた。
レンタカーを返してホテルについて、再度集合。今日はW君のアパートの近くの中華レストランに向かった。そろそろ慣れた味に戻りたかったタイミングだったので、ここの春巻きがとてもおいしく感じた。

2007ヨーロッパ旅行03シャトレー

翌日は朝早くから一路パリに向かってのドライブ。帰りは一度南下してからパリを目指すコース。N137からレンヌの街を抜けて、A81へ。ルマンを通り過ぎて、シャトレーで高速を降りる。ほとんどが有料道路だった。目指すはノートルダム寺院。パリにあるノートルダム寺院も素敵だが、ここのも負けてはいない。やはり内部のブルーを基調とするステンドグラスが素敵だった。

2007ヨーロッパ旅行02サン・マロ

避暑地の海岸沿いのホテルに宿を予約してあったので、田舎道を一路、サン・マロへ。実はインターネットで調べて、この街にカジノがある事が判明。ラスベガ スに何度か一緒に行ったことがあるK君も一緒だったので、一儲けしておいしい海産系のフランス料理を堪能しようという目論見だった。
ホテルについてみると予想した以上に景色の良い海沿いのホテル。既に海水浴客は少なかったが、海を眺められるホテルのバーで6時間程のドライブの疲れを癒 しながらビールを飲み干した。ホテルのコンシェルジェに聞いて近くのレストランへ。これから儲けるぞ!と語りながらK君がシャンパンと料理をご馳走してく れた。各自、量はあまり食べられないので、アラカルトでオーダーしたが、これが思いもかけず絶品だった。ようやくおいしいフランスに到着した気分を味わっ て、いざサン・マロの市内へ。

 

徒歩で10分程海沿いを歩いてカジノを探す。ようやく街の入り口に発見したが、様子がおかしい。豪華な避暑地のカジノを期待 していたのだが、なんとそこは場末のゲームセンターのようだった。一応入場にはパスポートの提示が必要。唯一ディーラがいたルーレットもオーソドックスな ゲームではなく、こどものおもちゃのようなものだった。数字も12程しかなく、投げるボールもゴムボール。それでもせっかくだからと妻と娘は少しだけチャ レンジ。一方K君と私は一気にやる気が失せてしまって、結局何もせずに退散してきてしまった。あの食事はこのままおごりで良かったのだろうか?


サン・マロの旧市街はなかなかの雰囲気を持っていた。夜のそぞろ歩きをしながら、ストリートパフォーマンスみたり、ウィンドーショッピングをしたり。最後 にカフェに入って、カフェオレを堪能。フランスの田舎もなかなか良いかもしれない。タクシーの数が少なかったので、既に寒くなって来た海岸沿いを早歩きで ホテルに向かった。

 

2007ヨーロッパ旅行02モン・サン・ミッシェル

翌朝、7時半ホテル前出発。今日はパリから離れて、一路世界遺産のル・モン・サン・ミッシェルへの巡礼の旅。W君が車でレンタカー屋まで見送ってくれる。8時にレンタカー屋へ。K君の希望により結局W君と同じトヨタ。カーナビ付き。このカーナビが少し癖があった。まず目的地のル・モン・サン・ミッシェルがどうしても入力できない。現地のHertzの担当者に頼んでもだめだった。レンタカー屋から出ると、本来ならすぐに曲がらなければいけない角を行き過ぎる。結局一番交通量の激しい凱旋門のラウンドアバウトにいきなり突入。今回乗車した4名は全て免許を用意してきたが、こういうややこしいところはなぜか私に順番が回ってくる。他の3人はパリ初体験だから仕方ないが。ラウンドアバウトに入ってしまえば、後ろを気にしなければなんとなく突っ込める事が判明。ぐいぐいと押し切る。何しろ東京の交通渋滞に慣れているわけだから、こちらにも自信がある。しかし、またまたカーナビのせいで高速の入り口も一度行き過ぎたので、市内を走り回る。ようやく高速に乗ったと思ったら、インターチェンジで曲がりそこね、結局スムーズに高速で走り始めたのは9時半頃。カーナビがどうやら50メートル以下の距離は認識しないらしいということが後で判明。後は400キロをひたすら走ることになる。高速A13に乗ってしまえば後は楽だった。途中ドライブインに入り朝食。フランスパンとエスプレッソがうまい!ここで片見君に運転を代わる。再度ドライブインに入り。妻に、さらに娘に運転を代わり、全員が海外での運転経験を積む事ができた。
A84からN175後は案内板に沿って行けば、カーナビは必要なかった。途中の田舎道は英国の西部の田舎のような雰囲気を醸し出していて気持ちがよい。そういえばこのあたりの人間がきっと英国に移り住んでいったんだよなと一人で納得。しばらくすると周辺の平らな地平線の上にル・モン・サン・ミッシェルがモンティパイソンの描いたお城の書き割りのように見えて来た。この景色は圧巻。なんでこんな地形ができたのだろう。平坦の地形の端っこにいきなり山のような教会だ。石を積み上げた人の苦労が忍ばれる。聖地としてはうってつけの場所だ。昔ティンタジェル城にゼミの後輩のW君と旅に出た時に感じた感動に近い。西の端の観光地に惹かれるのはなぜだろう?

門を一旦入ると小さな小道が教会まで続く。観光客でごった返していた。入り口左には有名なレストラン。オムレツが名物だ。一旦教会を観てからと思い、頂上 を目指す。途中景色の良いポイントもあり、かわいい中庭もありとなかなか満足できる観光地だろう。聖マイケルの魔物を退治している銅像をあちこちにみて、 一巡りしたらお腹が減ってきた。入り口まで戻る前に途中のレストランでプレーンのオムレツを頬張った。ボリューム満点。他の3人は入り口付近でさらにアイ スクリームを堪能。後で聞いたら、このボリュームが多すぎて一苦労だったようだ。

2007ヨーロッパ旅行01パリ

パリ到着一日目シャルルドゴール空港。あいかわらずおかしなエスカレーター。空中浮遊しているような錯覚になる。21歳になる娘は0歳児の時に渡英して以来のヨーロッパ旅行。あかちゃんの時の思い出などあるはずはない。つまり始めてのヨーロッパ旅行。思わず写真を撮っていた。

1番のバッゲージクレームの場所を見つけるのに一苦労。エスカレーターを降りて反対側の死角にあった。我々家族3人の荷物はANAスーパーフライアーズなのでなんと3番目にゲット。なにしろビジネスクラスにアップグレードされていたので楽々の空の旅だった。東京から同行の友人のK君は通常のエコノミー客の扱いなので、荷物が出てくるのに30分程時間がかかる。ANAカードは少し会費がかかるがこういう時には便利だ。K君は会費がいくらなのか気になっていたようだ。パリに転勤になったW君はスーツ姿で出迎え。今回の旅は、大学時代からの飲み友だちの二人がほとんど同時にヨーロッパ転勤になったことで企画した旅だ。一人はパリのW君。大手筆記具メーカーで筆記具を売っている。最近では消せるボールペンを開発して売り込んでいるらしい。くれぐれも契約書では使わないようにとのコメントが何とも不思議だ。もうひとりはT君で、化学品を製造販売している大手企業に勤めている。今回はドイツのデュッセルドルフでの勤務だ。いずれもヨーロッパの子会社のトップ扱い。この年代での海外赴任指令は、勤続年数を考えると断れないタイミングだと思う。もう少し我慢すれば退職金ももらえるしね。東京から参加したK君は既にサラリーマンを引退しているが、以前は大手ゲーム会社に勤めていた。ゲームキャラクターの鉛筆やぬいぐるみを企画販売、さらに携帯電話での会員向けビジネスを成功させている。私以外はフランス文学専攻だった。みんな大学一年の日吉で同じクラスだったというのがこの仲間の出会いだ。すでに30年近い付き合いになる。今までも暇を見つけては石垣島旅行や、英国、米国などに旅をしてきた。ゼミの仲間も巻き込んだ旅もあったっけ。毎回、飲み会の時の勢いで決めた旅を続けて来た。今回もこの時期に行っておかないと、数年後飲んだ時に話題についていけないからという理由で強引に組んだ企画だった。

生命科学を専攻している娘も来年は大学4年で忙しくなるだろうしと思い誘ってみた所、喜んで参加を表明。最後には来年は結婚25年になってしまう妻にも気づかれて参加。結局久々の家族サービスの旅にもなってしまった。おとうさんの財布は薄く、カード会社のマイレージばかりが溜まる旅だった。しかもユーロが高い!

さて、空港でピックアップしてくれたW君の車はトヨタのエコカー。荷物室は我々の荷物で一杯だ。これが一番心配だったが、なんとか車に押し込める事ができた。なんと社用車らしい。日本で働いているよりこういうところは待遇が良いようだ。
W君の奥さんはパリ大学出身、国際企業に勤務していて、夫婦はたまにパリで合流するらしい。今回は残念ながら私たちとの合流は実現できなかった。そういえば、W君は87年からしばらくの間にパリに転勤していた時に、奥さんと知り合ったようだ。とても国際的にみえるが、W君自身の生まれは浅草、言問橋で、こてこての江戸っ子。奥さんも白山出身だから不思議だ。最初のパリ赴任の時はフランス語もできなければ、フランスパン嫌い、チーズ嫌いだったような。そんな時も私は一人でイギリスからパリに乗り込み、W君のアパートに潜り込んだっけ。当時はトゥールダルジャンのランチの予約をお願いしていたが、フランス語で予約ができないという言い訳で私が到着するまで予約ができず、結局私が英語で予約を取ったのこともあった。懐かしい話。

今回我々の宿泊するホテルは新凱旋門と凱旋門の間。Pont de Nuillyの交差点の南側、。ブローニュの森の入り口だった。ブローニュの森の中のフレンチレストランを仕事で借り切って、チェーン店のエステの女性達200人とパーティを開いた事もあった。私は一体なんの仕事をして来たのだろうと不思議になる。さて、そのブローニュの森の脇のHotel de Nuiilyの借りた部屋、玄関部屋にシングルベッドと奥にダブルベッド。フロアーに一室だけこのような変形部屋がある。後はビジネスマン向けシングル。250ユーロは絶対高い。なにしろ1ユーロ170円の時だったから一泊5万円以上だ。でもこじんまりとまとまっているホテル。インターネット接続は一日16ユーロ。朝食は18ユーロ。ホテルでは大きな荷物を預かってくれないのが少し不便だ。W君のアパートにはK君が宿泊。さすがに家族三人でお世話になるわけにはいかない。

夜は再び合流して、近くのオープンカフェへ。サラダが多いオーダを4皿。ワインも冷えた!赤ワイン。パリの初日の晩餐はあまりぜいたくはせずにとりあえず寝る準備の為の食事。welcome dinnerという事で、W君が支てくれた。食事の後は車で夜のパリのドライブ。一時間に一度フラッシュのようにちかちかするイルミネーションに変わるエッフェル塔とその背後に見える満月を眺めて写真を一枚。懐かしいトゥールダルジャンの横を通り過ぎ、コンコルド広場を抜けて、ライトアップされたノートルダム寺院をセーヌ川河畔から一枚と、お上りさんツアーを実施した。