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2007ヨーロッパ旅行02モン・サン・ミッシェル

翌朝、7時半ホテル前出発。今日はパリから離れて、一路世界遺産のル・モン・サン・ミッシェルへの巡礼の旅。W君が車でレンタカー屋まで見送ってくれる。8時にレンタカー屋へ。K君の希望により結局W君と同じトヨタ。カーナビ付き。このカーナビが少し癖があった。まず目的地のル・モン・サン・ミッシェルがどうしても入力できない。現地のHertzの担当者に頼んでもだめだった。レンタカー屋から出ると、本来ならすぐに曲がらなければいけない角を行き過ぎる。結局一番交通量の激しい凱旋門のラウンドアバウトにいきなり突入。今回乗車した4名は全て免許を用意してきたが、こういうややこしいところはなぜか私に順番が回ってくる。他の3人はパリ初体験だから仕方ないが。ラウンドアバウトに入ってしまえば、後ろを気にしなければなんとなく突っ込める事が判明。ぐいぐいと押し切る。何しろ東京の交通渋滞に慣れているわけだから、こちらにも自信がある。しかし、またまたカーナビのせいで高速の入り口も一度行き過ぎたので、市内を走り回る。ようやく高速に乗ったと思ったら、インターチェンジで曲がりそこね、結局スムーズに高速で走り始めたのは9時半頃。カーナビがどうやら50メートル以下の距離は認識しないらしいということが後で判明。後は400キロをひたすら走ることになる。高速A13に乗ってしまえば後は楽だった。途中ドライブインに入り朝食。フランスパンとエスプレッソがうまい!ここで片見君に運転を代わる。再度ドライブインに入り。妻に、さらに娘に運転を代わり、全員が海外での運転経験を積む事ができた。
A84からN175後は案内板に沿って行けば、カーナビは必要なかった。途中の田舎道は英国の西部の田舎のような雰囲気を醸し出していて気持ちがよい。そういえばこのあたりの人間がきっと英国に移り住んでいったんだよなと一人で納得。しばらくすると周辺の平らな地平線の上にル・モン・サン・ミッシェルがモンティパイソンの描いたお城の書き割りのように見えて来た。この景色は圧巻。なんでこんな地形ができたのだろう。平坦の地形の端っこにいきなり山のような教会だ。石を積み上げた人の苦労が忍ばれる。聖地としてはうってつけの場所だ。昔ティンタジェル城にゼミの後輩のW君と旅に出た時に感じた感動に近い。西の端の観光地に惹かれるのはなぜだろう?

門を一旦入ると小さな小道が教会まで続く。観光客でごった返していた。入り口左には有名なレストラン。オムレツが名物だ。一旦教会を観てからと思い、頂上 を目指す。途中景色の良いポイントもあり、かわいい中庭もありとなかなか満足できる観光地だろう。聖マイケルの魔物を退治している銅像をあちこちにみて、 一巡りしたらお腹が減ってきた。入り口まで戻る前に途中のレストランでプレーンのオムレツを頬張った。ボリューム満点。他の3人は入り口付近でさらにアイ スクリームを堪能。後で聞いたら、このボリュームが多すぎて一苦労だったようだ。

2007ヨーロッパ旅行01パリ

パリ到着一日目シャルルドゴール空港。あいかわらずおかしなエスカレーター。空中浮遊しているような錯覚になる。21歳になる娘は0歳児の時に渡英して以来のヨーロッパ旅行。あかちゃんの時の思い出などあるはずはない。つまり始めてのヨーロッパ旅行。思わず写真を撮っていた。

1番のバッゲージクレームの場所を見つけるのに一苦労。エスカレーターを降りて反対側の死角にあった。我々家族3人の荷物はANAスーパーフライアーズなのでなんと3番目にゲット。なにしろビジネスクラスにアップグレードされていたので楽々の空の旅だった。東京から同行の友人のK君は通常のエコノミー客の扱いなので、荷物が出てくるのに30分程時間がかかる。ANAカードは少し会費がかかるがこういう時には便利だ。K君は会費がいくらなのか気になっていたようだ。パリに転勤になったW君はスーツ姿で出迎え。今回の旅は、大学時代からの飲み友だちの二人がほとんど同時にヨーロッパ転勤になったことで企画した旅だ。一人はパリのW君。大手筆記具メーカーで筆記具を売っている。最近では消せるボールペンを開発して売り込んでいるらしい。くれぐれも契約書では使わないようにとのコメントが何とも不思議だ。もうひとりはT君で、化学品を製造販売している大手企業に勤めている。今回はドイツのデュッセルドルフでの勤務だ。いずれもヨーロッパの子会社のトップ扱い。この年代での海外赴任指令は、勤続年数を考えると断れないタイミングだと思う。もう少し我慢すれば退職金ももらえるしね。東京から参加したK君は既にサラリーマンを引退しているが、以前は大手ゲーム会社に勤めていた。ゲームキャラクターの鉛筆やぬいぐるみを企画販売、さらに携帯電話での会員向けビジネスを成功させている。私以外はフランス文学専攻だった。みんな大学一年の日吉で同じクラスだったというのがこの仲間の出会いだ。すでに30年近い付き合いになる。今までも暇を見つけては石垣島旅行や、英国、米国などに旅をしてきた。ゼミの仲間も巻き込んだ旅もあったっけ。毎回、飲み会の時の勢いで決めた旅を続けて来た。今回もこの時期に行っておかないと、数年後飲んだ時に話題についていけないからという理由で強引に組んだ企画だった。

生命科学を専攻している娘も来年は大学4年で忙しくなるだろうしと思い誘ってみた所、喜んで参加を表明。最後には来年は結婚25年になってしまう妻にも気づかれて参加。結局久々の家族サービスの旅にもなってしまった。おとうさんの財布は薄く、カード会社のマイレージばかりが溜まる旅だった。しかもユーロが高い!

さて、空港でピックアップしてくれたW君の車はトヨタのエコカー。荷物室は我々の荷物で一杯だ。これが一番心配だったが、なんとか車に押し込める事ができた。なんと社用車らしい。日本で働いているよりこういうところは待遇が良いようだ。
W君の奥さんはパリ大学出身、国際企業に勤務していて、夫婦はたまにパリで合流するらしい。今回は残念ながら私たちとの合流は実現できなかった。そういえば、W君は87年からしばらくの間にパリに転勤していた時に、奥さんと知り合ったようだ。とても国際的にみえるが、W君自身の生まれは浅草、言問橋で、こてこての江戸っ子。奥さんも白山出身だから不思議だ。最初のパリ赴任の時はフランス語もできなければ、フランスパン嫌い、チーズ嫌いだったような。そんな時も私は一人でイギリスからパリに乗り込み、W君のアパートに潜り込んだっけ。当時はトゥールダルジャンのランチの予約をお願いしていたが、フランス語で予約ができないという言い訳で私が到着するまで予約ができず、結局私が英語で予約を取ったのこともあった。懐かしい話。

今回我々の宿泊するホテルは新凱旋門と凱旋門の間。Pont de Nuillyの交差点の南側、。ブローニュの森の入り口だった。ブローニュの森の中のフレンチレストランを仕事で借り切って、チェーン店のエステの女性達200人とパーティを開いた事もあった。私は一体なんの仕事をして来たのだろうと不思議になる。さて、そのブローニュの森の脇のHotel de Nuiilyの借りた部屋、玄関部屋にシングルベッドと奥にダブルベッド。フロアーに一室だけこのような変形部屋がある。後はビジネスマン向けシングル。250ユーロは絶対高い。なにしろ1ユーロ170円の時だったから一泊5万円以上だ。でもこじんまりとまとまっているホテル。インターネット接続は一日16ユーロ。朝食は18ユーロ。ホテルでは大きな荷物を預かってくれないのが少し不便だ。W君のアパートにはK君が宿泊。さすがに家族三人でお世話になるわけにはいかない。

夜は再び合流して、近くのオープンカフェへ。サラダが多いオーダを4皿。ワインも冷えた!赤ワイン。パリの初日の晩餐はあまりぜいたくはせずにとりあえず寝る準備の為の食事。welcome dinnerという事で、W君が支てくれた。食事の後は車で夜のパリのドライブ。一時間に一度フラッシュのようにちかちかするイルミネーションに変わるエッフェル塔とその背後に見える満月を眺めて写真を一枚。懐かしいトゥールダルジャンの横を通り過ぎ、コンコルド広場を抜けて、ライトアップされたノートルダム寺院をセーヌ川河畔から一枚と、お上りさんツアーを実施した。