スーパーサイエンスハイスクールの授業見学

スーパーサイエンスハイスクールの授業を見学してきた。

学校によって、様々な取り組み方があるが、今回は下記のような授業を見学した。
「探究基礎」
一学年330名程の学校。その内の一クラス40名を定員として、SSH用のクラスを設定。この数年応募者が40名以上(倍程度になることもあるとか)になるので、一年入学時に面談及び小論文提出等によって選抜。
先週受講した北極探検隊の人から講義を元に、4名程度の班をつくり、講義を聴いた後のまとめを作成していた。視点は班ごとに生徒が決めて良い。まずは発表のまとめのタイトルと文章を作成(今回の授業がその日だった)。次にパワーポイントで発表内容をまとめ。最終的には5分で口頭発表をする。というプロジェクトの最中だった。
各グループが相談している間に、私も中に張り込みヒアリング。どうやら前回の講義は「南極の氷を溶かしてみると中の空気が出てくる音を聞くことができる。南極にも池がある。コケが生息している。それとは別に氷床湖沼というものもみつかっている。」というポイントがありそう。これをもとに生徒達がどんな発表をするかが課題だ。
あるグループは南極の氷を調査することで地球の温暖化の状態を比較できるというポイントに注目していた、あるグループは生息しているコケ植物に焦点を当てていた。あるグループは氷床湖沼にも生物がいて暮らしているという事実とは異なる事をまとめようとしていた。これはさすがに先生から再度事実を整理してまとめなおすように指導が入っていた。
早々にポイントを整理してパワーポイントを作成しているチームも出現。「家に帰ってもパソコンはあるの?」「パワーポイントはあるの?」と質問してみると、4名中3名が家に帰ってからの作業は不可能なことがわかった。うーん、このあたりは要検討の必要がありそう。学校の授業時間内はグループ学習ができるが・・・これはどこの学校でも起きるICT学習環境の問題。また、理科実験室での授業だったので、パソコンはインターネットに接続されていない。さらなる調査をしようにもインターネットに接続されていない状態、図書館にも行けない状態では、調べようにも調べられない。このあたりの学習環境のリミッターは運用次第では改善の余地がありそう。
班のディスカッションがなかなか進まず、煮詰まっていたチームには、「自分がテレビ局のプロデューサーになったとしたら、番組にどんなタイトルをつけますか?」「いってQの番組作りだとしたらどんな視点で南極を見ますか?」と質問してみた。思わぬ方向からの質問だったのか、発言に勢いがついてくれた。

「SSH物理」
特殊相対性理論についての書籍の輪読が終了。この理論を踏まえながら、2名の班を形成して、オリジナルストーリーを制作。パワーポイントにまとめて発表。というプロジェクト。今回はちょうど班に分かれて、オリジナルストーリーをどう作り上げて行くか、ディスカッションしている最中だった。
なかなか面白い試み!ショートムービーなんかにもして欲しいなと話しかけたら、来年の文化祭で作り上げる映画製作の挑戦の話題に華が咲いた。実はこの学校3年生が全員、クラスごとに映画を製作し続けている。少なくても30年程は続いている伝統だ。

「SSH化学」
コロイド状態の物質を作り、光の通り方を確認する実験が行われていた。

高校一年生、二年生の授業を見る事ができた。講義式の授業より、参加生徒はリラックスした状態で授業に参加しているのが見て取れた。全てがプロジェクトベースドラーニングになっているわけだが、プロジェクトマネジメントの視点を積極的に導入すべきかなとも感じた。恐らく、生徒には授業だけが見えていて、その他の授業との連携、どうしてこのような勉強をしているのかという理由づけが、うまく伝わっていないかもしれない。考え方、学び方の基礎を経験している最中であり、さらにそれを発展させて、アカデミックな思考方法を身につけるというところをゴールとしているのを、もう少し気づかせるべきかもしれない。

ちなみに、このプロジェクトの運営は「優れた化学技術系人材に必要な知識と素養」を身につける為という憲章がある。しかし、アカデミックライティングの基礎まで学べているのは全校で6名程度しかいないことがヒアリングでわかった。パワーポイントの発表が流行っているのは良いが、その資料作りには参考文献資料のまとめ方や論文の書き方の初歩程度までは、全員に体験してもらえるような工夫が必要ではないかと感じた。

都立戸山高校卒業式

都立戸山高校の卒業式に招待された。
一年間、学校運営連絡協議会協議委員の委員として会議に参加して来たご褒美だ。
というのも戸山高校は私の母校だったから。私にはとても貴重な体験だった。
29年前に卒業して以来の戸山高校の卒業式である。

前半のセレモニアスな式はさほど感動はしなかったが、佐藤校長のメッセージが生徒の戸山での生活を良く把握している話であるのが印象深かった。

この学年の一年生の時の運動会は大雨だったようだ。それでも頑張って最後まで続けた彼らの努力は、いかにも学生主体でイベントを運営する戸山高校の自主自立の精神が反映された結果だったのだろうと推察される。

さらに感動したのは、卒業生のコメント。通常は卒業生代表は一人だと思うが、今回は4名の生徒が思い思いの気持ちを伝えてくれた。しかし、共通して 出てくるコメントとして、これも伝統に根ざしたイベントであるが、文化祭である「戸山祭」の話題が中心となっていた。30年前と全然変わっていない戸山の 校風をかいま見ることができた。

ここで、「戸山祭」について少し語っておこう。
一言で言うと文化祭である。昨年の秋の「戸山祭」も少し見せていただいたが、現状では一年生が展示、二年生が演劇、三年生が映画というコンテンツをクラス 単位で製作して発表する場だ。もちろん文科系のクラブ活動の発表の場でもある。私たちの頃も似たような感じだったが、私の場合一年生で演劇、二年生、三年 生で映画を製作した。これも生徒の自主的な運用ができる利点だ。

協同でもの作りをして行く体験はとても大切なものだと思う。私の今やっている活動自体もこの「戸山祭」の精神が宿っているのではないかとも思う。ア プローチの仕方として、私はデジタルの世界を中心には考えているが。そういえば、先日も協同教育学会で発表をさせていただいたっけ。

「戸山祭」は秋に行われる。つまり、高校三年生の夏休みはこの「戸山祭」の総仕上げの年にあたるので、必然的に勉強を取るか、文化祭を取るかなどの選択肢を迫られる訳だ。私はもちろん文化祭を取って、見事に一浪したのだった。

それでも、その伝統はいまだに継続している。そして卒業式の感動的なコメントの中にもそれは色濃く出て来ていた。そんな現役の生徒達を見ていて、久しく忘れていた自分の高校時代を彷彿とイメージする時間となった卒業式は私に取ってすばらしい体験になったわけだ。

高校にはすばらしいコンテンツがある。それは先生方の教育指導という方もあるかと思うが、私のこの生徒達自らが生み出す青春のコンテンツが、学校の 一番大きな資産なのではないかと感じた。こうしたコンテンツを学校に残して行く作業をデジタルで推進できないだろうか?伝統を生み出すデジタルコンテンツ は、学校の中にたくさんころがっているように思えてならない。