「研究会」

先日「学習環境研究会」というプロジェクトに参加させていただいた。慶應義塾大学の学生達、教授達が中心に、さらには現役の教員や教育関係の社会人も参加している、何かが起りそうな場であった。

特に閉ざされた大学内だけでなく、広く外部の人達との接触をしていこうとしている姿勢は期待できる。

現在では4つの分科会に別れており、
1)情報社会と学びのデザイン
2)アイデンティティー教育研究会
3)公教育
4)家庭教育

メーリングリストを中心に活動していくようだが、ホームページはこれから発進される予定があるということ。オープンしたらまたここで紹介することにする。

今年アトランタで教育とITをテーマとしたカンファランス(NECC)で一緒だった社会人メンバーとも再会でき、それぞれが活躍していることを再確認させていただいた。

日本の政府もITと教育改革を前面に打ち出してきた昨今であるが、今後もこうした地道な議論が各地で盛り上がっていくことを期待したい。そして議論ばかりでなく、実利のある行動に移していってくれる人材の輩出を願っている。教育改革を待っている学生が目の前にいるからだ。アットマーク・ラーニングとして、我々も半歩進んだところを走りつづけていこうと努力を惜しまないつもりだ。

福澤先生は慶應義塾の目的として以下のような文も残している。
「慶應義塾は単に一所の学塾として自ら甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、窮行実践以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり。」

「教育現場の変化」

教育の改革は可能だろうかと問いにみなさんはどう答えるだろうか?
現在の教育システムの中、変化に対応できる、国や地方自治体の体制は時代の変化に対応できるのかどうかがポイントになるであろう。とするとやはり無理か?
現場での動きはどうか?教師はもう学生のことを本当に考えなくなってしまっているのだろうか?変化に対応できる柔軟な思考は止まってしまっているのであろうか?
教育の現場にいる人は、おそらくいずれの問題にも変化への対応は少しずつだが進んでいると答えるのではないか?
実際私もそう考えるものの一人だ。

一歩一歩ではあるが、確実に変化しつつあると考える。
その原動力となるのが、現場でのIT技術の応用だ。個々の需要に合うサービスを供給しようとする動きは、新しいスタイルの学習環境で試行錯誤されながらも、確実に事例を増やしてきている。
慶應義塾普通部で教員をやっている私だが、その授業は試験的とは言え(選択授業)、今後の教育の進むべき方向性を捉えた試みを行っていると考えている。
IT技術を教えるというよりはむしろ自己発見の場としてウェブを捉えた授業をこころがけている。ウェッブで利用できる教材をコラボレーションしながら学生自らが作ることを目的としたクラスを運営している。

但し、実際のクライアントである学生の需要をフルに満たしているか、というサービスの量の面から現在の教育現場を考えると、決して充分なものではないだろう。
学校では変化のスピードが遅いのだ。私の授業もはやく必修授業に育ってくれればと思う。
変化に柔軟に対応できるのは、やはり競争の原理の働く企業に軍配があがる。だからと言って、教育は企業だけで変革できると言えるだろうか?
一時的にリードしたと見えても、その実践者が増えない限り、賛同者が増えない限り、その変革のスピードもいつかは遅くなる可能性もある。

やはり社会そのものが変革していかなければならない。社会そのものが教育の現場と考えることができるとしたら、教育の変化は社会の変化と共振してくるはずだ。
ここで、社会の変化をそのシステムを形作る政治だけに頼ってはいけない。社会自体を支えているのはまぎれもなく私たち自身であるのだから。個々人の意識革命が必要なのである。社会人として、人に伝えたい情報または自分自身をどのくらい持っているのか、またそれを適切に伝えて実践しているのかがポイントとなる。
批評することは誰でもできるが、実践するのは難しいと感じている人も多いかと思う。
しかし、ここで他人事のように放っておいてはいけないのが、教育問題である。

大きなうねりとなる一歩として、実践家としてみなさんも自己変革して、一歩踏み出そう!
このような動きに参画したい人と、私たちは一人でも多くコミュニケーションをとっていきたいと考えている。学校の先生も塾の先生も、芸術家も隣のおじいちゃんも、21世紀を創っていく子供たちに伝えたいことはたくさんあるはずだ。教育の現場もこうした社会の動きに敏感になるべきだと思う。