人は何の為に勉強するのでしょうか?学生も社会人も、人は同じ悩みを持っています。
社会人は何の為に仕事をするの?というのも付け加わりますが。
富国強兵の為に天皇制をフレームワークとしていた時代、国のため、一族のため、親のために青春時代を犠牲にしていた時は悩む必要もなかったのかもしれません。
資本主義というゲームの中で出世してお金を儲けることを最大目的としていた時は、不思議に思うこともなかったのかもしれません。
しかし、どの時代でも忘れてはいけないのは、自分で考え、実行してきたものがいたということです。偶然その時代を変革してきた人もいるかもしれませんが、いつの時代にもそうした人材が必ずいたはずです。
何の為に勉強するのか、働くのか、そして生きるのか、と自分を見つめなおした時、そこにあるのは宗教でも、哲学でもありません。そう、裸の自分という存在そのものが見えてくるはずです。
自分をみつける為に、自分の姿を映し出す鏡として、人は本を読み、映画や演劇を観て、芸術を鑑賞するのかもしれません。また、神秘的な数学の世界に浸り、雄大な自然と対峙することによって、見出すことのできるものも多いでしょう。仕事の中で自己実現を図ろうとするのも、ひとつの試みかもしれません。
人は感動する為に学習するのではないでしょうか?感動は人それぞれの感受性によって異なります。つまり、学習スタイルも人それぞれ違って良いはずです。
しかし、そこに感動する自分がいることだけは動かせない事実です。自分で見て、聞いて、考えて、感動する。その為に学習する自分がいても良いはずです。
社会構造がどう変わろうと、インディペンダント・ラーニングを実践する意義は大きいと考えたほうが良いかもしれません。

