「家庭での教育と21世紀の親とは」

昨日、大学生と社会人の集まりで議論する機会を得た。各人様々な意見を持っており、しかもそれが自分の育ってきた環境に大きく左右される意見が多かった。とかく躾の問題に帰結しそうなテーマである。実際昨夜の会議もそこに議論が落ち着きそうだった。

結論から言うと私はそうした議論の終着を望まない。「コミュニケーション不足の解決」を私は主張したい。

歴史的に考えると、従来の家庭には宗教やイデオロギーなどでこうでなければならないという家庭像が暗黙の了解の中に存在していたのではないかという提言もあった。そうした呪縛から運良くか悪くかわからないが解放されてしまったのが、現代我々日本人が抱えている家庭ではないだろうかということだ。

どこでも同じ親と子の関係があるとは限らない。そこには暗黙の了解のルールが欠けてしまっている。そこで、家庭の教育とは、小学校までは躾が大切、大きくなったら親を乗り越える試練が必要というような議論を持ち込んでも、無意味になりつつあるのではないか。
「なぜ?」という疑問を閉じこめるほどの大きな力が働いていないからだ。

会社でも最近「なぜ?」という疑問ひとつひとつに回答を出していかなければ、人は動いてくれない。「朝は上司に挨拶しなければならない」とそこで議論しても仕方ないのだ。「挨拶をするとお互い気持ちが良いよ」というコメント入れないと、人は動いてくれそうにない。

親も子も「なぜ?」を繰り返しつつ、コミュニケーションを取ろうとする努力が家庭内ではより必要になってくると感じている。そのツールとしてITにも期待している私は論点が少しずれてしまっているのだろうか?そんな疑問を昨夜感じてしまった。
日々のサポート業務にもそうしたひとつひとつの「なぜ?」に答えていることが多くなってるのは当然の結果かもしれない。「聞く」態度がますます重要になってくるのが21世紀からの親への要求事項なのではないか?

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