昨日、大学生と社会人の集まりで議論する機会を得た。各人様々な意見を持っており、しかもそれが自分の育ってきた環境に大きく左右される意見が多かった。とかく躾の問題に帰結しそうなテーマである。実際昨夜の会議もそこに議論が落ち着きそうだった。
結論から言うと私はそうした議論の終着を望まない。「コミュニケーション不足の解決」を私は主張したい。
歴史的に考えると、従来の家庭には宗教やイデオロギーなどでこうでなければならないという家庭像が暗黙の了解の中に存在していたのではないかという提言もあった。そうした呪縛から運良くか悪くかわからないが解放されてしまったのが、現代我々日本人が抱えている家庭ではないだろうかということだ。
どこでも同じ親と子の関係があるとは限らない。そこには暗黙の了解のルールが欠けてしまっている。そこで、家庭の教育とは、小学校までは躾が大切、大きくなったら親を乗り越える試練が必要というような議論を持ち込んでも、無意味になりつつあるのではないか。
「なぜ?」という疑問を閉じこめるほどの大きな力が働いていないからだ。
会社でも最近「なぜ?」という疑問ひとつひとつに回答を出していかなければ、人は動いてくれない。「朝は上司に挨拶しなければならない」とそこで議論しても仕方ないのだ。「挨拶をするとお互い気持ちが良いよ」というコメント入れないと、人は動いてくれそうにない。
親も子も「なぜ?」を繰り返しつつ、コミュニケーションを取ろうとする努力が家庭内ではより必要になってくると感じている。そのツールとしてITにも期待している私は論点が少しずれてしまっているのだろうか?そんな疑問を昨夜感じてしまった。
日々のサポート業務にもそうしたひとつひとつの「なぜ?」に答えていることが多くなってるのは当然の結果かもしれない。「聞く」態度がますます重要になってくるのが21世紀からの親への要求事項なのではないか?
「Independent Learning と3C Thinking」
アルジャー・インディペンデンス・ハイスクールのジョン校長と再会してきた。コミュニケーションを深める為に意見交換をして、お互いの教育理念を再確認する場にもなった。
彼はあくまでもインディペンデント・ラーニングを提唱している。
自分で気づき、計画し、学習し、反省していく過程を評価している。もちろん各学習者にはそれぞれの学習スタイルがあり、そのスタイルを尊重することは忘れてはいない。また、その学習プロレスを重視して、成長を評価している。
この学習方法をトライすることは、かなりハードルが高いと思われる人もいるだろう。その為にチームという概念が存在している。一人では越せない山もチームを組んで困難に取り組んでいくこと、その機会を私たちは学習者に提供していかなかればならない。
以前、ここで3C Thinkingという考え方を紹介した。
Common Thinking, Critical Thinking, Creative Thinking. どれも大切な考え方であろう。ただ、これを学習に役立てる場合、私たち学習支援者はその時期とバランスに気を配るべきだろう。
年齢ではっきりと分けられるとは思わないが、学習の側面として上記の3C T hinkingには、その学習タイミングに傾向が見られると思う。
年齢の低い場合の方がCommon Thinkingを学ぶ環境が整っているし、より年齢が高い学習者がCritical Thinking, Creative Thinkingを獲得しやすい環境にいるということだ。
もちろん、小さな子供でもCritical, Creativeな考え方が強い学習スタイルを持っている子供もいるだろう。また大人になってからも、Common Thinkin gの獲得が得意なスタイルを持っていても良いと思う。
ただ、注意しなかればならないのは、どれか一つに偏った学習方法の獲得を、ある時期に絶対化、義務化することは避けなければならないということだ。また、そうした物の見方、学習の目的として様々な諸相があることを意識しておくことは学習者にとっても重要なことだと思う。
インディペンデント・ラーニングを実践するということは、もちろんこの3つの諸相を意識して学習を進めるということだ。また、学習者がいくつかの諸相を混ぜて学習している
ことを、サポート側が認識してあげることが必要だ。そこで、学習者のセルフエスティームが確立してこそ、この学習方法を選択した価値が出てくる。
私たちは1を100にしなさいという言っているわけではない。0を1にしなさい、自分を見つめなおして、自分で一歩踏み出してみようとトライしてみたら、と助言しているのだ。
但し、1が1のままで良い、50が50のままで良いと考えている学生には、この学習方法は難しいかもしれない。その時はチームで乗り越えてみようよ。アットマーク・インターハイスクールはそう誘いかけている学校だと思っていただきたい。
マスメディアはCriticalな物を見方までを提案してくれている媒体であり、その先は私たちに任せられているのではないだろうか。

