石田晴久教授急逝

2009年3月9日、石田晴久教授急逝の情報を午後1時、国立情報学研究所訪問時に知らされた。石田先生のセッティングで新井紀子先生をを再訪問する予定だった。待ち合わせの場所に先生はいらっしゃらないので携帯をならしたが、お返事なし。仕方なく、遅刻気味で新井先生のお部屋に訪問。サイバー大学から来られていた3名の先生方、川原洋教授、園田道夫准教授、後藤幸功准教授と合流して、始めて知らされた。

その後携帯電話の着信履歴を石田先生のご長男が確認していただいたようで、直接お電話をいただき、経緯を伺った。一週間程前に心筋梗塞を起こして入院、バイパス手術をして、着実に回復に向かっていたようだ。昨日も病院内を歩いていたらしい。しかし、今朝程急変し、急逝されたとのこと。

心筋梗塞を起こす直前まで、Skypeでバーチャル会議をしていたというお話もサイバー大学の勝眞一郎先生から伺った。

石田晴久先生との出会いはThinkQuest@Japan1999の表彰式だった。
1997年から7年間程,慶應義塾普通部の授業をまかされていた。当時はまだ始まっていなかった総合的学習の基本になるようなICT環境を利用した授業運営を提案して、プロジェクトベースの新しい学習環境を提案、構築して運営。一年間かけて、中学生達と一緒に公開できるホームページ作りにチャレンジしていた。運良く銀賞を受ける事になり、授賞式で石田先生から表彰を受けた。
ThinkQuestは教材になるようなホームページを子供たちが作るコンテスト。その後、私は子供たちの希望を聞き取り、教材だけではなく、ゲームや、遊び、趣味なども表現できるコンテストBBCoach Projectを生み出す事になる。2003年から4年間程、石田先生には審査委員長をやっていただいた。

2000年に開講したアットマーク・インターハイスクールでは理事をお引き受けいただき、日本で最初のバーチャルスクール創設のお手伝いもしていただいた。このプロジェクトはその後01 Virtual Public Schoolを生み出す母体となる。

2003年には石田先生に佐伯胖先生をご紹介いただいた。その後、日本学術会議で講演をさせていただくきっかけをつくっていただいた。

2005年から2年間、石田先生が所属していらっしゃった、多摩美術大学情報デザイン学科で講師をしてみないかということで、「インターネット放送」をテーマに講義を行った。学生の作品を世界に発信するインターネットテレビ構想を打ち上げて、授業IPTVサイトで公開している。

2006年の後半は、サイバー大学開設の準備の会議等にもひっぱっていただき、様々な方々をご紹介いただいている。私もこのサイバー大学のプロジェクト以前に構造改革特区を活用しての株式会社立の学校運営で高校を申請していたので、このあたりの情報交換をさせていただいた。

2008年1月に科研費を活用したセミナーを開催。ワンセグを活用した授業運営プロジェクトというのはいかがでしょうと、2年程前に提案させていただき、ようやく初年度の発表が終わったばかりだった。

石田先生には本当にいろいろな方を紹介していただいた。今日の会議でも始めてお会いするサイバー大学の先生方がいらっしゃったのが、いかにも石田先生らしい。これが最後のご紹介となると残念でたまらない。

お酒は召し上がらず、ミーティングは新宿中村屋のフランス料理屋というのが定番だった。

慶應の村井純先生が石田先生を巻き込んで日本のインターネットの普及が始まった経緯は見逃す事はできないと思う。当時は東大の大型計算機センターのトップ。UNIXの研究科としても有名だった経歴抜群の先生が、通信法の範囲外だった新しいネットワークの普及に関わったのはなぜだったんだろう。このあたりの勇気、英断に私は感服して、石田先生を追いかけて来た。

ご冥福のお祈りします。合掌。

BBCoach 2004

2004年度のBBCoach Projectの表彰式での審査委員長石田晴久先生。一番の前の席にいるのが審査員の茂木健一郎さん。

楽しい時間をありがとうございました。

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