「デジタル・デバイドと教育」

みなさんはデジタル・デバイドという言葉を聞いたことがありますか?94年の夏から秋にかけて友人と話していたことが実際に起きているという事実を今日あるフォーラムで再確認してしまいました。

九州・沖縄サミットで日本がイニシアティブをとろうとしている「IT憲章」では、途上国と先進国との間のデジタル・デバイドを問題にするということです。

では日本は一体どちらに属するのでしょう?もちろんサミットの会議なので、日本は先進国に属すると考えられますが、本当にいままでの先進国がこれから先も情報先進国になることができるのでしょうか?

みなさんは自分のホームページを持っていますか?インターネットで情報発信をしている人が、どれだけ自分の周りにいるのか、良く考えてみましょう。既にアジアの中でも日本は情報途上国になっているのではないでしょうか?

デジタル・デバイドの問題は、国内の所得格差にもつながる問題としても注目されています。日本でも年収1200万円以上の家庭でのコンピュータ導入率が96%、300万円以下の家庭では14%というデータがあるようです。

ホームスクーラーとトラディショナル・スクーラーの間でもデジタル・デバイドの問題は起きてきているようです。先日の私どもの記念講演会でも、米国ギャラップの調査によると、ホームスクーラーは一般学生よりも高学歴層の親を持っている率が高いという結果がありました。高学歴層の平均収入が高く、収入が高い家庭のコンピュータ普及率が高いのであれば、やはりここでもデジタル・デバイドが起こっていると言えます。

一体何が起きているのでしょう?

日本は中流階級が多いので、デジタル・デバイドの問題は起こり得ないという考えに躍らされていませんか?実は既に日本でも起きている現象なのです。

現代の「読み、書き、そろばん」の道具であるコンピュータを覚えるのは難しいと、避けている方もいますが、本当にそれでよいのでしょうか?企業にも学校にも管理する側で、コンピュータを使えないことを豪語する方もいます。
既にインターネットを中心に公募している企業もあれば、就職前にコンピュータ教室にかけこむ学生もいる現代の日本で、本当に求められている教育とは一体なんでしょう?

もちろん、パソコンのソフトを扱う能力を問うているのではありません。インターネット革命により起こっている事実を受け入れて、そこで生き抜くために基本的な知識を教育は提供するべきです。その為の人材の育成、サービスの充実をはかるのに、現在の教育システムが社会に適応していないのなら、自分たちの力であらたな教育の機会を創造していくしかありません。

「ナショナル・ミニマム」

教育のナショナル・ミニマムとは何か?先日ある会合に参加する機会を得て、この言葉に遭遇した。学生に最低限得て欲しい国民としての知識ということになるであろうか。ナショナル・ミニマムを身につけさせる業務を行っている団体を学校と呼び、税金を投入できる団体として国が認めるようだ。税金の使い方を論議する時、良く使われる言葉らしい。

ナショナル・ミニマムを身につけることができたかどうか学生に確認するには、統一テストが必要になるということであろう。一方、ナショナル・ミニマムを教えている団体の統一テストは聞いたことがない。税金を投入しているからには、このナショナル・ミニマムを必ず理解させることが学校の義務だとされているので、当然行われていることとして考えられているようだ。

さて、世はインターネットの時代である。世界の垣根を取り払おうとしている時代である。この世界ではナショナル・ミニマムがどこまで通用するものであろうか?むしろインターナショナル・ミニマムを提示するべきではないだろうか。

ネチケット(ネットワークエチケット)という言葉も最近耳にする方も多いかと思う。義務教育の最終学年である中学3年生でも相手を納得させる手紙、自分の意志を正確に伝える手紙を書けない学生が増えている。ネチケットの前にこうした自己表現をもできない学生をを生み出してしまっているのが、このナショナル・ミニマムを義務として強いられている学校の教育現場の実状であろう。ネットワークを利用する場合、最低限このネチケットを理解させることは、ぜひミニマムに取り入れて欲しい事項だ。

アットマーク・インターハイスクールでは、まずメールでのコミュニケーションを中心に学習がスタートする。ここでは、自分を表現すること、手紙を書けること、メールを使いこなすことは日々の活動の中で自然に見につくように仕組まれている。言い換えると、そこからスタートしなければ、実際の学習は何もスタートしない。すでにそこには内向きのナショナル・ミニマム的な学習ではなく、世界にも通用するインターナショナル・ミニマムの知識を獲得するベクトルが働いている。

必要とされているサービスの需要があるからこそ、供給しているにすぎない。税金を補助金として利用することによって国歌斉唱や国旗掲揚が義務として課せられるか否かという問題に立ち入ること問題提起しているわけではない。本当に必要とされているサービスを提供できているか否かで、学校も評価されるべきではないかと思う。

公的な教育とサービスの教育を分ける考え方もあるようだが、サーバーがありクライアントがあるコンピュータの世界ではネットワークサービスが不可欠なように、教育を提供する側と受けたい側が存在するところに適切なサービスが行き届いているか否かを論議する時期ではないだろうか。マシンを止めずサービスを提供しながら、少しずつプログラムを修正していくのか、一度リスタートしてすすめていくのか、新たなコンピュータを作り上げるのか多少の差は出てくるであろうが、求めるところは一緒であって欲しいと切に願う。

「社会の教育力」

4月22日、私は葉山にいた。この時期になると毎年友人からお誘いがかかるからだ。
葉山では8年ほど前から、地元に住んでいるアーティストを中心に、葉山芸術祭なるイベントを催している。実は私は以前この芸術祭の公式ホームページの作成をお手伝いしたことがある。そんな縁で、葉山には良く顔を出す機会がある。

しかし、今回は少しニュアンスを変えてみた。もっと積極的に葉山と取り組んでいけないか、様々な方と議論も交えながら、新たな試みを始めたわけだ。今回は「教育フォーラム『学びの選択肢』-「学びの場」と「地域」- 」という題目で、講演を行った。

アットマーク・インターハイスクールは2000年4月に開校した。学校説明会などで良く聞かれる質問に、インターネットやコンピュータの世界に学生が閉じこもることが多いのではないか、教育は実際に対面で行わないと十分なサービスが提供できないのではないか、そんな問いかけが含まれるのは、想像がつくと思う。

しかし、アットマーク・インターハイスクールは、決してコンピュータだけでサービスを提供するシステムではない。もっと可能性のあるシステムだ。

では実際にどのように、学生にコンピュータやインターネット以外の学習のチャンスを提供するべきだろうか。私たちはこう考える、「地域にも教育力がある」と。

学生は日本全国、いや世界中に広がって行くであろう。それが、インターネットをツールとしたビジネスに共通して言える可能性である。その時に、学生はデジタルだのアナログの回線の中だけに生きることを選択するのだろうか。もちろん、その世界に入り込んでしまった人は、それなりに楽しみを味わっているであろう。しかし、一方でインターネット技術により勝ち得た、時間と場所からのrelease from bandageをうまく利用して、自分なりに時間と場所を活用する術を発見していくものも増えていくであろう。そんな時に必要になってくるのが、地域の教育力である。

葉山には地域の教育力があると感じている。それはここ数年来かかわってきた人たちから、熱いエネルギーを感じるからだ。ただ、それが、うまく教育と結びついていない。情報を発信する人と、受信する人、情報を分け与えたい人と情報を取得したい人が、うまくリンクできていないという、その他の地域でも起こっている現象がここでも起きている。ここで、インターネット技術を使わない手はない。そんな思いで以前、ホームページを作らせていただいた。

アットマーク・インターハイスクールの学生がこうした地域の教育力を甘受できるよう、環境づくり、ネットワークづくりをしていくのが私たちの役目だ。現実の公立学校でもそうした動きは見え隠れしているが、学校長権限で会議を開催する程度であろう。実際に地域の教育力を持った人々と、学校を結びつけるには様々な問題が横たわっているようだ。

私たちは幸い私企業である。私企業であるからには、クライアントの要望に従って、その需要に応えていくシステムづくりが、企業存続の命だ。すばやい対応で、地域の教育力のネットワーク化にも尽力を続けていきたいと思っている。そんな活動がアッマーク・インターハイスクールには課せられていると感じている。

「アットマーク・インターハイスクール入学者に贈ることば」 

 去る4月9日、アットマークインターハイスクールの入学式が行われました。その日、学長から入学者に贈った言葉です。

1 アットマーク・インターハイスクールは0から1を生み出す学生をサポートします。
2 アットマーク・インターハイスクールは学習者の時間と場所の制限を解放します。
3 アットマーク・インターハイスクールは新たに創り上げる新時代の学校です。

クリエーティブ・ラーニングを提唱します。
各自が自立した学習方法である、インディペンダント・ラーニングを実践します。自分が自分の先生になるのです。まずは、自分の夢が何か、何をやりたいのかを考えてください。そして、最終的にはホームページを作成してみてください。自分をどう表現するかは、自分しかわかりません。最初はきっと真っ白なバックグランドしか、作れないかもしれません。そんな時こそ、サポートティーチャーや周囲の方たちとコミュニケーションを取って、自分を見つけだしてください。そこにひとつひとつ文章をつけ、色を付け、絵を描いていきましょう。ページができあがった時、そこにはクリエーティブ・ラーニングを実践したあなたの姿が映っているはずです。そんなページは自分の為の、学習結果にもなるし、インターネットで活動している世界中の人たちの誰かにとっては、すばらしい教材になっているかもしれません。ここで、クリエーティブ・ラーニングの方法を学んでいただいた学生は、必ず今後の世界でも活躍してくれる人材に育ってくれると思います。実際にアメリカではこのようなスタイルで学んだ学生が社会に出て、活躍する機会が増えていると聞いています。

インターネットをフル活用します。
インターネットという技術が、私たちの生活から、時間と場所の拘束をなくしてくれようとしています。インターネットを道具として使うと、仕事もSO HOという家庭を中心としたスタイルに変化しようとしています。学校も同じです。みなさんが、インターネットを活用して家庭で学習するということは実は最新のトレンドなのです。夢を持って、未来の新しいタイプの学校の基礎となる登校に参加されたみなさんは、歴史上もとても重要な人間であるということです。明るく楽しい学習を実現する為に、ともに励んでいきましょう。

教育改革ではなく、学習方法の新たなスタイルの創造と考えてください。
新たなスタイルなので社会に認知されるまで少し時間がかかるかもしれません。そんな時にはみなさんの力を借りて、一歩一歩前進していくしかありません。サポートティーチャーを代表とするアットマーク・インターハイスクールのスタッフ、主役である学習者自身、家庭での学習をサポートしてくださる親御さん、地域の活動でお手伝いいただける方々、インターネットで知識を提供していただける専門家の方々、いろいろな方たちの力を借りて、全力で新たな学習方法を創り上げていきたいと願っています。

一緒に夢を実現していきましょう。
本日はおめでとうございます。

「エデュケーション・スタイル」

ラーニング・スタイルという言葉ご存知ですか?アメリカでは学習者のラーニング・スタイルを理解することが、教育の現場の第一歩と言われてきています。テキストを読み、暗記して、テストで良い成績をあげる、という事が得意であるという、ラーニング・スタイルを持ち合わせた、学習者は現在の日本の教育にもマッチしていて、恵まれているということになります。一方、どうしても歩きながらでしか、物事を暗記できないとか、文字で書かれているものに関しては頭に入っていかないなど、現在の教育方法ではなかなかサポートに苦しむ学生も少なくありません。

私たちが、4月から開校するアットマーク・インターハイスクールは、学習者のラーニング・スタイルを一緒に見つけ出していこうと努力していくことからサポートがはじまります。管理型のエデュケーション・スタイルからサポート型エデュケーション・スタイルへ、またはクリエイティブ・エデュケーション・スタイルへとそのサービスの方法を多様化していきます。

今、ノースカロライナ州で開催されているホームスクールのカンファランスに参加する為に、米国に出張に来ています。移動の途中で見た、Heart ofMu sicという映画は、ハーレムの学校でバイオリンを教える非常勤講師と学生との交流のストーリーでした。実は今月2度目です。バイオリンを教え込むには管理型教育が良いのかどうか、この映画の講師は、管理型の押し付け教育を実践しているのではないかと、映画の前半は感じてしまいました。少し反感も持って前半は見ていたのですが、ラストは感動ものでした。

管理型であれ、サポート型であれ、最終的には、教師と学生が心と心でつながって、尊敬しあえる仲間になること、チームになることが、大切なのではないかと、つくづく考えさせられました。

ラーニング・スタイルと、エデュケーション・スタイル、みなさんと一緒に今後も考えていきたいと思います。

「壁」

「情報強者と情報弱者」のテーマ、とても興味深いですね。

私がインターネットを始めた時期は1994年の秋でした。個人向けプロバイダーであるリムネットがサービスを開始したのが秋だったと思います。その年の春、一台のマッキントッシュを購入したのをきっかけに、友人と狭い我が家で議論を展開していました。

「そうすると、インターネットに接続して、世界中の人とコミュニケーションを取っている家庭がある、一方で壁を一枚隔てたお隣さんは、まったくインターネットなんていう言葉さえも理解できずにいる。そうした差も生まれてくるね。1キロメートル四方の地域での活動しかしていないという人と、世界中を瞬時に飛び交ってしまう人が、一枚の壁の差だけで、同じ地域に存在するんだ・・・でもチャンスはみんなにあるんだね。」
「情報っていったい誰のものになるのだろう?」
「グーテンベルグの印刷術開発により起きた情報革命より大きな革命が起こるの?」
「圧倒的なローコストで情報の受信もできるんだね。」
「情報の発信ができるところが、最も注目すべきところではないの?」
「個人がテレビ局を持つってことだよね。」

夏から、秋にかけて、ニフティーのインターネットフォーラムに入り込んだり、リムネットの会議室に入り込んだりしましたが、なかなかすぐに役立つ情報が取り出せずにいました。その時のネットワークで活躍されていた専門家はとても怖かったですよ。特にネチケットを守らない人、自分で調べようとしない人には厳しい発言が飛び交っていましたね。

情報取得の壁は以外に高かったけど、すばらしいチャンスに恵まれるという期待感はその苦労も忘れさせてくれるものでした。

さて、2000年になった今、ますますインターネットの世の中は進歩しています。

当時議論していた友人は今はゲーム会社でiMode対応プロジェクトのチームリーダーに、私はいくつかの学校の情報担当の教師になりました。お互い、一人でも多くの方に、安価で良質な情報の受発信を享受できるような、プロジェクトに参加しているわけです。薄い壁によりかかりながら、狭い部屋で議論したあの夏が出発点になっています。

「学校教育とコンピュータ」 

成田空港からこのメールを書いている。これから、教育分野でのコンピュータ利用の事例説明ということで、米国シリコンバレーにある企業に報告に行くという旅だ。飛行機に乗り込む直前に空港内の掃除道具を動かす為のソケットから電源を取りながら、コンピュータを動かしている。はやく、各席に電気のコンセントがついてくれないか願う今日このごろだ。どうやらアメリカン航空はエコノミーでも電源がついているという情報もあるのだが、今日はユナイテッドで搭乗ということで慌てている。

私は現在、とある中学でコンピュータの講師をしている。学生を2~3名のグループにして、一年間を通して、ウェッブ上に自分達で教材を作り出す授業を続けている。

この春からアットマーク・インターハイスクールで高校生にも似たような試みをしていきたいと思っている。中学は教室にいっせいに集まって授業を行うわけだが、今回は遠隔で実施する必要がある。完全な遠隔教育というわけだ。中学ではなかなか実現できないでいる、教材のプロ並みの完成度を目指せるのではないかと密かに楽しみにしている。

いろいろとチャンスが訪れるが、じっくりと腰を据えて、中学生であれ、高校生であれ、大学生であれ、これからの若い世代と一緒にコンピュータを使って、何かを創り出していく、クリエイティブな授業を作り上げていくことをこれからの最大のテーマとしたいと再度認識した。

教材

大学はホームスクーラーにとって、何を与えてくれるでしょう?また、ホームスクールを実践するにあたって、大学との関わり方はどのようなものになるのでしょう。

昨年の夏、フィラデルフィアに行った時に、あるヒントが垣間見られました。古い駅舎を改造した、通信添削教材を中心とした、ホームスクーラーのサポート校を発見したのです。

経営はファミリービジネスでしたが、創始者でもある父親が中心となって、地元の有力な大学と深いつながりを作っていました。この基本姿勢はその後の代にも引き継がれていました。既にその経営は息子達の代で、私たちを出迎えてくれたのは、2人の若手の兄弟でした。父親同様、地元の教育学部の先生方とコミュニケーションをとり、高校の授業についていけない学生のための補修教材を地道に取り揃えていました。

アメリカでは各学校に学生の学習の相談を請け負う相談員がいます。最近では日本でもそうした担当を用意している学校が増えてきました。たとえば、そうした相談員が、補修教材を扱っている学校を紹介することがあります。しかも直接に単位に結びつく条件として、補修を受けさせることもあるようです。

特に注目すべき点は、教材を作成する上で、大学の専門家や学生とのコミュニケーションを充分にとっているという点です。その中身も濃く、たとえば歴史の問題なども、従来の歴史観からに立った場合の解答と、自分のオリジナルな解答を両方書き込める欄などもあり、よく考えられています。

日本でなら、解答は一つになってしまうでしょう。ましてや、通常の歴史観と異なる解答をしては、点数は取れないのが原則です。ただし、創造的な人間を育てる方法としては、こうした解答欄の設け方は一理あるのではないでしょうか。

こうしたクリエイティブな学習方法を応援する問題集はぜひ大学でも高校でも協力しあってつくって欲しいと思います。自分で考える力を養える学習参考資料、そうしたものを用意できたなら、日本のホームスクールの文化も根づいてくれるのではないでしょうか。このような教材を扱っている学校を、公的な学校が紹介できる環境こそ、アメリカのふところの広さなのではないでしょうか?

アットマーク・インターハイスクールでも、学内ばかりではなく、学外の優秀な専門家の方々とコミュニケーションを深め、学習者の知的好奇心をかきたててくれるような、ヒント集をつくっていきたいと考えています。

「木の根」第二章

昨年は日野理事長と一緒にいろいろなことを学びました。特にこの夏は強行軍の米国出張の中で、様々な人と出会い、様々な考えを聞き、心を洗われる思いをしてきました。

シカゴ経由でハートフォードに着いたのもつかの間、バーモント州のeSchoolをめざして、3時間程ドライブをしました。アメリカの東部には英国の地名に由来する町がたくさんあるようで、英国をドライブしているような気になりました。ケンブリッジに一時ステイしていたこともあり、英国の旅をしたことのある私にとっては、何かとても懐かしい思いをさせてくれる光景が続きました。飛行機と車の移動でくたくたになりながら(少し居眠りをしていたのだと思います)、ようやく辿り着いたeSchool は想像していた以上に簡素で、何もない町の一角にありました。

一階が本屋になっている建物は、コロニアル風とも言える、木造のひなびた2階屋でした。2階への階段を上ると、初老のおばあさんが、我々を出迎えてくれました。とても笑顔の似合うおばあさんは、この学校の共同経営者でもある、学長の奥様でした。学長もすぐに挨拶に出てこられて、学内を案内していただきました。そこは学校というより、リゾートオフィスという感じのところでした。サポートする方たちの部屋もひとりずつ割り当てられて、働く環境としてはすばらしいところでした。もちろんコンピュータも最新のものが並んでいました。

別棟は小さな印刷所のようになっていました。義理の息子さんが仕切って、印刷機器や教材を見せていただきました。印刷機はなんとリコーのリソグラフを活用していました。ここは教材を中心に通院教育のサービスを展開しているスクールのようです。この義理の息子さんがスクールのインターネット化を推進しているとのことでした。威厳のある学長の教育理念を伺いながらも、私は将来の希望に満ちあふれている息子さんと話があいました。

米国には様々な形態のeSchoolがあります。学校の勉強をサポートする形態のもの、授業のサブ教材を扱うところ、オリジナルの教材を用意しているところなど様々です。私たちのeSchool探索の初めの一歩としては、最適な学校を訪問できたと思います。

面談が終わる頃には夕暮れ時になり、食事に招待されました。めまぐるしい一日の最後で、食欲もあまりわかなかったのですが、せっかくの招待ですから、近くのレストランまでご一緒させていただきました。なぜか勧められるがままにステーキを食べてしまいましたが、さすがに疲れていたのか、アメリカンサイズのステーキは思ったより骨の折れる食事になり、お腹の具合と格闘していたのを思い出します。

そうこうしている内に、帰り際の時間になると、突然の嵐が襲ってきました。食事で満腹の状態で車でこれからまた3時間も走らなければなりません。確かにあの嵐の中、稲妻の閃光と土砂降りの雨には驚きました。アメリカンサイズの肉の後は、アメリカンサイズの嵐が我々を襲ったわけです。それでも睡魔が襲ってきて、結局私は車の中で寝てしまったのでした。

翌日、ニューヨークにいる友達とメールで情報交換しましたが、アメリカでも前の晩の嵐はめったにある規模ではなく、かなりの被害が出たものだったようです。1987年に英国ケンブリッジで出くわした嵐もすごかったのですが、今回のはそれに輪をかけたような嵐でした。違いは英国の木々は根が浅く、街中の木々が翌朝倒れてしまっていたのですが、アメリカの木々は根が深いのか、ホテル周辺の倒木はあまり見かけることはありませんでした。ここで、またアメリカのパワーに驚かされたわけです。

我々も、インターネットでの教育システムを、日本に深く根付かせたいと心に誓ったのでした。

「木の根」

学長をめざして日々精進している、柳沢です。従来の学長像というものからすると、みなさんのご期待には応えられないかもしれません。

1960年生まれ、39歳になります。13歳の娘がいます。英国式ビリヤード(スヌーカー)が好きで、西洋紋章が好きで、インターネット文化が好きで、0から1を創ることが好きで、一所懸命に前を向いて進んでいる人が好きです。日野理事長と出会ってからずいぶんと時間が経ちましたが、ようやく一緒に仕事ができることになりました。1999 年は私にとっては、このプロジェクトに参加することも含めて、新たなスタートの年でした。

大学時代の家庭教師時代から教育にはすこぶる興味がありました。英語の教員免許も取得して、就職でも教員は考えていたのですが、縁あって、ビジネスの世界を歩んできました。

1994年に一台のマッキントッシュと出会い、インターネットの世界に参加することができました。それ以来、インターネットと教育というテーマが私の脳裏から離れない日々が続きました。

大学時代の家庭教師を真似て、インターネットの家庭教師を始めました。学生は、大学の先生方や、芸能人や、友人でもある企業人達でした。現在はインターネットをツールとした中学生の授業も担当するようになりました。人より半歩先に行くことができたことにより、その知識をみんなに共有してもらえるチャンスを得て、また一緒に学ぶことができて、とても楽しい、幸福感を味わうことができました。

教育ってなんでしょう?教える、教えてもらう、育てる、育つ、いずれにしても、誰が?何を?ゴールは?という疑問に行き着きます。

私は教えるほうも教わるほうも、一緒に育っていくことこそ、教育ではないかと考えています。相手を認めるために、自分自身を知るために、人は学習するのだと思います。どのように生きるべきか、どこに向かうべきかを考えるために、自分の存在を見つめなおすために、人は学習するのだと思います。